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 イギリスにおいては、13世紀頃から教会や宮殿の舗装用に床タイルが製造されていた。1689年にオレンジ公ウイリアムが王権につくと徐々にオランダの文化が導入され、 壁タイルも輸入されるようになった。また、オランダ・スペイン間の80年戦争の結果、オランダからタイル職人が移住し、イギリスにおいてもデルフト・タイルが制作されるように なったが、タイルの用途は、依然として舗装用の床タイルが中心であった。イギリスにおいて製造されたデルフト・タイルはイングリッシュ・デルフトとよばれるが、 17世紀に製造された初期のイングリッシュ・デルフトは、デザイン、色調共にオランダのデルフト・タイルと変わりがない。初期において、 イングリッシュ・デルフトの方が幾分青みを帯びている点が 異なっているだけである。1756年にJohn Sadlerが銅版転写による絵付け法を考案、大量生産が可能になった。 18世紀に入るとイングリッシュ・デルフト独自のデザインが出現、ビアンコ・ソプラ・ビアンコ(white on white)と呼ばれる縁飾りやロココ調の図案を始めとして独自の デザインが出現した。しかしながら、以下に述べる様な工業用タイル生産技術が確立し、イングリッシュ・デルフトは衰退していった。
 ヴィクトリアン・タイルは、ヴィクトリア時代に製造されたタイルの総称である。18世紀後半に入ると、Josiah Wedgwoodが粘土の材質を改良し(creamwearと呼ばれる) 固く、強いタイルの焼成が可能となった。更に、Josiah Spodeがアンダーグレーズによる転写絵付け法を考案し、釉薬が剥がれやすいという転写法絵付けの弱点を克服した。 1830年代に入ると、デザイン・モチーフを色付き粘土で埋め込む手法が登場(encaustic tile:中世の舗装用床タイルの製造法を改良したもの)し、また金型とプレスで圧縮成型し、 絵付けする手法も開発された。更には、1850年頃、Minton社が、凹凸のレリーフをもつ装飾タイルに多彩な色彩を施したマジョルカ・タイルを発明した。 それまでタイルは、寺院や宮廷につかわれていた床タイルの補修が主な用途であったが、これらの技術革新の結果、タイルの大量工業生産方式が確立し、 タイル生産は一大産業に成長し、産業革命で力を蓄えた市民の住宅の装飾や衛生保持用、公共建築の外壁の装飾用、米国や他の海外植民地への輸出用に大量に生産される様になった。
 19世紀後半には、マス・プロダクション製品にたいする反動からアーツ・アンド・クラフト運動が興り、タイルの世界でもWilliam  De MorganやWilliam Morrisが手書きの 装飾タイルを制作したが、高価だったため一般の家庭には余り普及しなかった。

 ヴィクトリアン・タイルの大きさは6 x 6インチが標準で、裏面にはメーカー名やメーカー印が刻印されている。ヴィクトリアン・タイルの製造会社は十数社 あったが、ミントン社、ウエッジウッド社、モウ社、コープランド社、ピルキントン社等が主要タイル・メーカーであった。デルフト・タイルの場合は、図柄は当時出版されていたプリントや 版画から流用されたが、ヴィクトリアン・タイルは、タイル・デザイナーが図案を考案した。 William Wise、John Moyer、Christopher Dresserが有名。 アーツ・アンド・クラフト運動を主導したWilliam De MorganやWilliam Morrisのタイル作品も人気がある。
 encaustic tile、鋳型成型タイル、陽刻文様タイル等の制作技法の進化、釉薬の改良の結果、ヴィクトリアン・タイルの図柄は、デルフト・タイル以上に多種多彩である。 1843年からの40年間で40万種類以上の図案がパテント申請された。又、1870年から1900年までのミントン社の図案帳には2000種類以上の図案が収録されている、という。 図柄は、ギリシャ・ローマ時代の神話をテーマにしたもの、中国・日本・ペルシャ等の外国文様の模倣、中世タイルの模倣、古代の伝説、 植物・動物、果物、鳥、観光名所、有名人・政治家のポートレート、田園風景、聖書、物語(「赤頭巾ちゃん」、「シンデレラ姫」、「イソップ物語」等)等々。 これらのタイルは、テーマ毎にシリーズ化されているものが多い。一つのシリーズは12枚から成り立っているものが多い。
用途としては、寺院、家屋、公共の建築物の装飾用や舗装用だけでなく、テーブルや椅子等の家具に組み込まれたりもした。寺院や公共の建築物には、組み絵タイルが使用され、 大量のタイルが消費された。